部屋の気温が高いのは、Intel Pentium 4 HTのタワーがあるせいです、きっと。
さて。
最近は女性に対する労働機会の均衡化という名目の元、「男らしく、女らしくではなく、あなたらしくを」という風潮が目立ちます。
しかし、何も全員が全員社会に進出する必要があるのでしょうか。主夫に向いている人もいれば、その逆も然り、でしょう。それであるのに、全員に対して社会進出を強要するこの社会のあり方は異常であるといわざるを得ません。
欧米の女性社会進出は、夫の収入は夫のもの、妻の収入は妻の物、とある種家計を断絶している為に女性の社会進出が必要になったのです。
日本では今もなお、「夫の収入は妻の物、自由に使って良い。」というようなジャイアニズムが許容されているわけですね。だから、妻が勝手に夫の収入で何を買ってもいいという(半分詐欺のような)事態が許されるわけです。
女性の社会進出に当たっては、こうした日本社会の"旧弊"をただすところから始めないと行けないのかもしれませんが、そもそも本当にこれが"旧弊"、即ち古い時代の問題点であるのでしょうか?勿論、旧社会の制度には、悪い点もあるでしょう。しかし、権利と義務のいわば「仕事の法則」ともいうべき関連性を見失っている女性たちに、旧社会の制度を"旧弊"と非難される謂われはないでしょう。
こんな話があります。
概要としては、「何故日本ではレディファーストが進まないのか?」という議論をゼミでした…、という話です。
詳しくは、http://res2ch.blog76.fc2.com/blog-entry-2676.htmlをご覧ください(著作権保護の観点から、リンクのみを提供します)。
言い方はあまりよくないですが、日本人女性は酷い人は徹底的に酷いです。反対も然りで、(良い意味で)凄い人は本当に凄いです。しかし、その凄い人の人数が異常に少ないのがこの日本社会である訳で。
※注意:私は外国へ何度か行って、(全員とは言わないけれども)日本女性の醜悪ぶりをよく見ていますよ。
権利と義務が表裏一体だと、いつわかるのでしょうね。
ではでは。












