先の秋葉原連続通行人殺害事件には驚かされました。
犯人は示威行動を取ることで、「止めてほしかった」と漏らしているそうな。
まずは、この事件について、簡単に管理人から新聞報道を見て想ったことを一つだけ。
・犯人が所持していたらしい短剣(ダガーナイフと呼ばれる)は、確かに殺傷用でもありますが、魔術的な意味合いを持つものだと想うんですよね。否、本来なら長剣の方が良かったりするんですが、あの形がやはり妄想を呼ぶのでしょう。
さて、これから警察・検察・弁護人・法廷が、それぞれ異なるアプローチで容疑者の精神を調べていくわけですが、それにしても何故秋葉原を狙ったのでしょう。人の多いところを狙ったとの供述もあるようですが、それならば東京駅赤煉瓦駅舎を出てすぐの横断歩道でも良いはずです。秋葉原にこだわる理由…、これからの検証に期待します。
この事件のみならず、何回もこうした"倫理観欠如型犯人像"が実体化した事件が発生する背景は何なのか。そもそもどうしてこうも類似犯が多いのか?こうした問いに答えてくれる一冊の書籍を紹介します。「累犯障害者」という本です。
実は、この書籍の中に、「娑婆より刑務所の方が良い」という一節があります。これが事実だとすると、大問題です。
何故このような矛盾(刑務所の中は憲法で定められている身体の自由は勿論無い)を抱えた社会があるのでしょう。
このままでは、間違いなくこの日本は終わりです。
このソリューションを一つ一つ検討していく必要性は、既に何度も述べています。
具体的には、"教育"に問題があるのだろう、と私は想定します。
というのも、小学校や中学校において必修科目であるはずの「道徳」、この授業がどこの学校でも他の授業にあてがわれているんですね。道徳を教え込む機会がない。道徳というのは、その社会の中ではぐくまれていくものですから、人間が本来性という観点から言えば持たない。それを教えなければ、一個の人間も"獣"に成り下がる。これは、本来性という言葉で説明できます。本来、獣は社会的生物ではないのですから、共食い(*)は当たり前。人における殺人は、これです。
学校教育は大きな転換期を迎えるべき時期に来ているのはもう20年前には分かっていたことなのでしょうね。それが「ゆとり教育」、即ち非思考的道徳教育推進ではこういう社会となるのも必然。
最後に代えて、この事件の被害者の皆様の一刻も早いお怪我の全快を心より祈願いたしますと共に、この事件の死者の皆様にご冥福をお祈りいたします。
注意:(*)について、本来「共喰い」と表記すべき漢字であるが、一般の漢字体系を考慮し、「共食い」としています。「喰」という漢字は、(獣が)食い荒らす、食べ荒らす、そういったニュアンスの日本漢字です。従って、この字を人間に対し用いるのは誤りと考えています。が、辞書によっては「喰」は「食」と同義とするものもあり、判断の分かれるところです。ちなみに、小学館の例解字習辞典にはそもそも漢字が載ってませんでした(爆
では。












